2009年7月5日日曜日

何が決め手?何が欠け手?

意思決定は難しいです。

色々考えて、うだうだしてるのはうんざりだよ。

テキパキ決めちゃいたい。
その方がどんなに楽だろうか?

「決めることは難しいことじゃない。
難しく捉えている自分が原因なんだよ。」

ってどっかの本に載ってた気がする。
もちろん口にもできるし、言葉は意味はわかるんだけど、

理解・納得まで至らない。

まぁ腑に落ちないってことですね。
で、実際は腑に落ちないのに動きたくないんだよねー。

だって、後悔するじゃんか。
100パーセント自分の意思で動いてないんだよ。
人に動かされるのは、いやだ。

でも、それって素直じゃないよね。
素直じゃないと成長しないんだよ。
人から吸収出来るもの・力が遅いんだよ?

もったいないじゃんか。
もっと素直になれよ。

ああ゜ーーーーーーーーーーー

わけわかんねー

って、そんなめんどくさいやつです、はいw


さて、今回は意思決定について今のぐるぐるを書き出しますね。
既に書いてますが。決して鬱なわけではないのでお気になさらず!
ちょっと長くなるし、めんどいので飛ばしたい方はどうぞ!


んー今の葛藤は、
自分のやりたいこと
やってみたら面白いこと
これは条件がいいよねっておもうこと
素直になりたい自分になれそうなこと
なればきっと素敵な自分になれそうなこと


色々欲深く打算的なもんで、全部やりたいんですよねw

ただ、そうすると結局何がしたいのか伝わらず、
ごちゃごちゃ。・・・
こいつめんどいから、もういいやって結果になるんです。

残念ながらね。

だから、優先順位をつければいいじゃんって話なんだけど。

先ほども書いたように、
全部やりたいんですよww
全部ね。だから優先順位もへったくれもないんですよ。
選べなんて酷ですよ、部長。

だって、そうじゃん?

根本は自分をもっと好きになりたいし、
もっと好きになってほしいから。

まだコップの水は溢れてないもの。
だから、当然自分に目が向くんです。

ナルシストなつもりはないけど、
なんだかんだ自分が大切だしね。

要は、その目的のための目標・方法論なわけですよ。

人が思いつかないようなアイデアが出せようになりたい
人の役に立てるようになりたい
細かいところに目が向くようにもなりたい。
きちんと与えられたことを着実にこなせるようになりたい
時間内に120パーセントの成果を出せるようになりたい
言葉に重みが出るようになりたい
人の気持ちがわかってやれる人間になりたい
優しさや思いやりを大切にできるようになりたい

どうなっても、きっと理想に近づくし、ある程度満足が出来る

だから何をしたってだいたい一緒。

じゃあ何が必要?より最適なんだろう?

最短距離?楽しめるかどうか?


でも、何が最短距離?楽しむって要は捉え方だよね?
楽しめるように工夫さえすれば、どんな仕事だって
楽しくやりがいのあるものになるんでしょ?

まだじぶんはその境地に立っていませんが。。。
まぁその境地に立つためでもいいしね。

できるだけ人のためになることを頑張る?

そもそも人のためって言うけど、
結局最終的には自分にベクトルが向いてんだよね。

人に何かしたいってことは、
人に何かする自分が好き、もしくは人に何かできることがうれしい
自分が思考・行動した結果、人のためになったという事実がうれしいから。

確かに、人に何かをするのってとっても好き。
交流会も、クロスオーバーも、バイトだって、
喜んでもらえたら嬉しいしさ。

でも、嬉しいって感情でしょ?
そういった感情はもちろん大切だよ。
とても素晴らしいものだし、何より明日への活力になるよね。

けど、結局はベクトルは自分に向かうんだ。
そうしたい自分の欲求に従順なわけ。

だから、人に何かできるような人間になりたいと口では言うんだけど

それは結局自分が何かしたことに対する評価が欲しいんだってことに気づいたんだよね。

でも、それって極論を言えば「自己中」だよね。

もちろん「自己中」も色んな定義があるし、
否定するつもりも毛頭ないです。
言葉と捉え方を変えてみると、

『自分のやりたいことの先に人に幸せがある』
って考え方もできるじゃん?

これは今の自分の軸なんだけどさ。

だから、全てウォントで動いてるんだよね。
どうなりたいか?どうしたいか?
どうなって欲しいか?
全部ウォントだね。

でも、後先を考え出すとウォントって
純粋なウォントじゃなくなる気がするんだよね。

本能に従うことよりも、
少し打算的な欲求がはいってくるから。それが優先順位をややこしくするんだ。

そうそう、それで結局は何を信じていいのかわかんないってことなんだよね。

それが今の意思決定を揺るがせる最大の原因。


って、今までは逃げてた。まぁ一理あるんだけど。

でも、最大の原因は自分が怖がりだからなんだよね。

つまり、チキンってことですよ。


自分自身も、受け入れ先の企業も、受け入れ先の社長・社員も
コーディネーターも、お世話になってる社会人も、
家族も、バイト先も、友達も、親友も、先輩も、後輩も、恋人も、

交流会の時もそう。
クロスオーバーのときだって
NAP-SACだって
聖南祭だって


自分も含め、何もかも信じることが出来なかった。
ただの「チキン」なんですよ。

だから、意思決定をうだうだして
大学にいかず、ぶらぶら過ごしてるんだよね。
大学に行ってても何も変わらなかったかもしれない。
大学にいかなかったから学んだこともあるかも知れない。
大学にいかないことで、
自分と向き合って、
周りの人たちと向き合って
世の中と向き合ってさ。

結局何になったんだろう?
何が出来るようになった?
何が進んだ?
それは大学にいかないと出来なかったの?

全部わかんねー。
ってか、それ言い出したらオレの行動に意味なんてなくなる。
何をしても、そうしなければいけない理由なんてなくなる。
終いには生きてる理由すらなくして
バイバイ。

そんなのくだらないから、
必死になって生きる希望を探してんの。
日本人として生きて行く上で、
おそらく働くって必要だと思ったから
インターンがしたいわけ。

でも、結局色々逃げ道作って
執着をしないから、いろんな人からバイバイされる。

大好きな先輩、元友達、元親友、元カノ、
行きたかった受け入れ先の企業、
元同じ活動をしていた仲間

彼ら・彼女らが自分から引いていく理由も全部他責にして
逃げていく姿を追わなかったのは自分なのに
逃げられる原因を作ったのは自分なのにさ。

それで思い浮かぶのは、出来ない理由を色々考えるよね。
諦め癖がついたのはいつからだろう?
他人のせいにするのはいつからだろう?

あいつが○○だから、
○○してくれないから、
たまたま運が悪くて、
そう、これはできないんだよ。
もう無理だよ。
これは仕方ないじゃない。
これだけ出来たんだよ。
って、色々言い訳をつくってさ。
セーフティネット張ってさ。
相談にのってもらえば、
色んな人の話を聞きに行けば、
きっとなにかきっかけがないから今はうまくいかないんだって、
何かきっかけがあれば進むような気がして、
結局自分を何とかをしなければ、
自分自身を変えないと
何も進まないし、誰も動かない。
何1つすら決めれないことは、全部わかってんだよ。

だって、自分は見えないほど、そこまで頭悪くないもの。

ただ、どうしようもなくチキンだから
決めた決断を信じることが出来なくて
ただいろんなことに怖がって
びくびくしながらさ。

だから、いつまでもうだうだしないために
チキンな自分から脱却しよう。

それをどうやったら脱却出来るかを
とりあえず今あるものを実践しながら考えよう。


そんな結論です。
ここに
脱チキン宣言をします。

さて、これからどうしましょう?
とりあえず、もうすこし色んな人の意見に耳を傾けてみよう。
そうしよう。