自分はどこにいたいのだろう?
自分らしくあることってなに?
それは成長することと相反するの?
そんな問いが自分の頭を悩ませます。
最近はそんな日を過ごしています。
知っての通り、未だにインターンシップは決まりません。
やりたいことも、将来なりたい自分も定まっていないし、
覚悟だって決まりません。常に悩む毎日。
ただ、なぜ決まらないのかが分かりました。
「執着しない」からですね。
執着ってなに?って今までは思っていました。
未だによくわからないんですが、
ただ1つ心変りが激しい僕にはきっと執着という言葉が似合わないんだとおもいます。
執着しないから、覚悟も決まらない。だから、人からも企業からも求められない。
そんなわけで最愛なパートナーとの関係に終焉を迎えました。
理由はいろいろあるけれど、進むべき道の不一致とでも言っておきましょうか。
後悔はありません。また次の旅に出ようとおもいます。
かつての旅の仲間は敵ではなく、同志。
尊敬と感謝の念を忘れることなく、進んでいきたい。
本当にありがとう。
行先はわからないけど、そんなのなくたって今を楽しもう。
現状発想だって幸せになれるさ。
未来発想を誇張する人がいました。
僕はその発想にすごく共感し、自分のロールモデルのように接してきました。
しかし、人の粗探しが得意な僕には、その人が実は未来発想をしていないんじゃないのかと勘ぐっていました。
僕の目からは、自尊心と自己実現で動いているとしか思えない。
先を見通し、その先にある不確かな未来へと近づけるだけの努力と細心の注意を怠ることなかれ。
それができない未来発想に価値なんてあるのか?
そこで見つけた答えは、
人間は常に変わり続ける故に、昨日のロールモデルも今日はただの知人となる。そして逆もまたしかり。
結局、自分が信じた人も明日には自分の気持ちが変わっているかもしれないし、その人の姿勢も変わっているかもしれない。だから、確かなことは何一つもなく、信じられるのは今この瞬間の現実だけ。あとは、参考程度にとらえればいいや。
だって、執着しなければ人は変わり続けるから。そうだろ?
誰だって保身をし、
誰だって自尊心を掲げ、
誰だって自己実現をしたいと願い、
誰だって今日よりも明日を良くしたい。
誰だって心変りはするもの。
それらに気付けて良かった。
これで自分の醜い部分だって、
こずるく、計算高いこんなちっぽけな自分でも、少しは好きになれそうだ。
今夜はよく寝れそうだね。
明日になれば、いろんなことを忘れ、
また新しく色んなことを考える。
日々変わるそんな毎日に楽しみを見出せたら、
僕はきっと幸せなんだとおもう。
そこが自分の居場所なのだから。
人生一度きり、いつが最後かわからないけど、
常に自分の行いに悔いないように楽しんでいこう。